四畳半怪談

Short-Short Stories ショートショート

《軽薄でテキトーな先輩と、そんな先輩に振り回される後輩》
約3,300文字

あらすじ
 葬儀屋に勤める若手社員同士のボーイズ怪談。

Rating
 全年齢
 ※軽度の恐怖描写があります。
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 人はいつ亡くなるかわからない。ゆえに葬儀屋は二十四時間営業が基本。夜勤の時は仮眠が許されているので「今夜は誰も亡くなりませんように」と利己的に祈りながら仮眠室の扉を開けた。だがそこには先客がいた。
「よっす、雨宮くぅ〜ん。元気ぃ?」
 硬いベッドに座った先輩は、僕に向かっていつもの気の抜けた挨拶をした。
「まあまあ、立ってないで座りなさいよ、お茶とか飲む?」
 僕が自分のために用意しておいたペットボトルの緑茶を指差しながら笑う先輩に、曖昧な返事をしながらパイプ椅子に座る。
 狭苦しい仮眠室に二人きり。よくあることだった。おしゃべりが大好きな先輩が僕の元へやってくる。僕は眠れない。
「俺たちの職業を知るとさ、怖い経験をしたことがあるかどうか尋ねてくる人いるじゃん? ないですよって答えると場がしらけて、こっちが悪いことしたみたいな気持ちになるけど、嘘つくわけにもいかないし。だって、ちょっと変だな、おかしいな、と思うようなことがあっても、それは錯覚か思い込みか白昼夢なんだからさ」
 やはりその日も先輩は僕のことなどお構いなしに語り出した。先輩は五年ぶりにやってきた新入社員である僕に何かと構いたがる。うちは小さな葬儀屋だ。その他の社員は年寄りばかりなので、歳の近い僕が一番話しやすいというだけの話だ。
「はじめて白昼夢を見たのは、俺がまだ新人だった頃。ゆうて深夜の話だから白昼夢っていうか黒夜夢? そんな言葉ある? ――まあそれはよくて、とにかく俺は死人が蘇るっていう錯覚をしたわけ」
 寒々しい仮眠室の空気が急に重たくなった気がした。
 先輩が僕に話す内容は多種多様。その知識はいい意味で浅くて広く、大抵の人と話を合わせることができる。でも先輩が僕にオカルトじみた話をすることは一切なかった。僕を怯えさせないため、意図的に避けていたのかもしれないな、と思い至る間に先輩は話を進める。
 その日、先輩は寝ずの番の付き添いをしていたそうだ。蝋燭と線香の火を灯しているため、定期的に様子を見に行く必要がある。場合によってはご遺族の話し相手にもなる。しかし喪主であるご遺族は椅子にもたれて眠りこけていた。
 仏様は九十五歳での大往生だった。病気もせず元気に暮らしていたけれど、ある日突然ぽっくり。悲壮感のないお葬式は良いなと思いながら先輩が火の確認をした時、ぱかんと棺の蓋が空いた。安置されていたご遺体がむくりと起き上がり、ばちりと目が合う。
 医療技術が未発達だった昔ならともかく、死亡診断のおりたご遺体が蘇るはずない。
「その時、俺はこの台詞を言うなら今しかないって思ったわけ。『お前はすでに死んでいる!』って。おもくそ指さして。そしたら相手、なんて答えたと思う?」
 黙り込んだままの僕に構わず、先輩は話を続けた。
「『あべし! ――いやなに言わせとんねん、アホちゃうか』って。ノリツッコミされた」
 それから先輩は「まあええけどね、よそでしたらアカンよ。仏様に向かって言うことちゃうで」と厳重注意を受けた。先輩も「はい、おっしゃる通りです、申し訳ございませんでした」と平謝りした。一通り説教をしてから、仏様は周りを見回した。息子さんが眠りこけてるのを見てちょっと笑い、「ほんまに死んだんかぁ。しゃあないな。ほな」と言って、また元通り横になった。先輩は「開けたら閉めてくんない?」と思いながらも棺の蓋を戻し、その後はつつがなく式を終えた。
「それが最初の錯覚で、他にも色々あったよ。泣かれるのは困った。怒鳴られたりもした。心残りを託されることもあった」
 先輩は死者の遺言を、不自然ではないように、遠回しに遺族に伝えた。望みに添えなかった時は夢枕に立たれて文句を言われたりもした。
「そんなんサービス外ですよ、勘弁してくださいって。ここでも平謝り。理不尽でも死んだら仏様だもん。仕方ないっすわ」
 冷え切った部屋の中で朗らかに笑う先輩を、じっと見据える。普段ならそんな大胆なことはできなかったけれど、今は事情が違う。僕の視線に押し負けた先輩は、観念した様子でため息をついた。
「――でね。俺が早死にしたのって、もしかしたら死者に関わりすぎたせいなのかなって、思ったわけ」
 先輩の言葉を受け入れたくないのに理解していた。口に入らない大きさの鉛を胃に直接詰め込まれたみたいに、ずしりと体が軋む。
「やっぱり、亡くなったんですね」
「うん」
 先輩は脳梗塞で倒れ、入院していた。回復の見込みはない。ご遺族が延命を断念した時点で決定的な死が訪れる。まだ三十二歳。いつもちょうどいい死というわけにはいかない。
「雨宮くんも、たまに何もないところで固まってたり、暗闇の一点を見つめて困惑したりしてたからさ。雨宮くんも錯覚しやすいタイプなんじゃないかなって思ってたんだよね。実際、今の俺が見えて、会話できちゃってるわけだし」
 先輩の姿は生前と何ら変わらず、いつも通り職場の制服を着ている。今のは全部冗談。奇跡的に回復しました。これはドッキリです。そんな可能性が一ミリもないことを示すように、先輩は僕の手に触れようとした。そこに実体はない。ただの冷たい空気の塊が僕の手を突き抜けただけだった。
「だからさ、今後死者が蘇ったり、会いに来たり、そういう錯覚をしても、反応しないで。無視して。見えてないふりをしていれば、仏様もこちらを見ないから」
 子供に言い聞かせるみたいな、優しい言葉のひとつひとつが僕の中に沁みていく。
「雨宮くんには長生きして欲しいんだよ。だから、死者と話すのは俺で最後にしてね」
「先輩――」
「こんなお節介じゃなくて、もっと雨宮くんのために何か遺してあげられればよかったんだけど。まさかこんな早く死ぬとは思ってなかったから」
 ナハハと軽薄に笑う先輩の輪郭が透けていく。僕の錯覚が終わろうとしている。
 言えなかった。ずっと言えないでいた。先輩に対する気持ちを。
 だから。僕は生者の世界から消えゆく先輩に縋り、スーツの内ポケットから取り出した札を貼って呪詞を唱えた。再び輪郭を浮かび上がらせた先輩の手をひしと握りしめる。
「――は? え? ちょっと待って、なにこれ?」
「先輩のこと調伏して僕の式神にしようと思って」
「なにそれ! できるのそんなこと!? ていうか雨宮くん寺生まれとかじゃなかったよね!?」
「はい、普通のサラリーマン家庭です。調伏方法は文献をあたって調べました」
「文献あたれるんだぁ!?」
 国立国会図書館のNDLサーチを使えば大体のことはわかる。調べ方さえわかれば、あとは根気の問題だ。僕は先輩を繋ぎ止める方法を片っ端から調べに調べた。先輩が倒れて、回復の見込みがないのだと知らされてから、ずっとそうしていた。
「――先輩は、僕のことを気にかけてくれていたから、僕のところに来てくれたんですよね」
 もし。先輩が死後に僕のところに来てくれたら。話し相手が僕しかいないから仕方なく相手にしていたのではなくて。ほんの少しでも、僕のことを特別に思ってくれていたなら。僕に未練を残してくれているのなら。
「僕は先輩のことが好きなので、いつでも捕まえられるように準備だけはしておきました」
「え〜! 雨宮くん俺のこと好きだったんだ!? 生きてるうちに知りたかった!」
 僕も、先輩に伝えたかった。先輩が死なないでいてくれたなら、伝えられなくてもよかった。
「まあ式神になるのはおもしろそうだから全然いいんだけど」
「いいんだ」
 あっさりと異常事態を飲み込む先輩のことをやっぱり好きだなと再確認しながら、「けど」の続きを待つ。先輩は眉間に皺を寄せてつぶやいた。
「雨宮くん、この手のことは素人なわけでしょ? もしまかり間違って俺が悪霊になって、雨宮くんを祟って殺しちゃったらやだなあ」
「その時は二人してすごい悪霊になって、裏金議員とか祟り殺してやりましょうよ」
「ひゅーっ、義侠心! いいね、嫌いじゃないよそういうの」
 じゃあ、できる限り一緒にいるよ。俺も雨宮くんのこと好きだし。先輩は死んでいるくせに頬を赤くしながらそう言って、俺の頬に触れた。この冷たい指先の感触が錯覚なら、僕は錯覚したまま生きていく。いつか先輩と二人ですごい悪霊になる日を夢見ながら、僕は目を閉じた。

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