《押しに弱い一般人&押しの強い武士》
約3,900文字
あらすじ
仇討ちをしなくてはならなくなった一般人の青年と武士のお話。ブロマンス風です。
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※軽度の暴力と死亡事故の描写があります。
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桜が散ったら即初夏。五月から熱中症に警戒。梅雨前線は消滅。やっと雨が降ったかと思えばゲリラ豪雨で災害が発生。猛暑日は果てしなく続き、最高気温を毎年更新し続ける。
それが普通だと思っている現代の人にはちょっと信じられないかもしれないけれど、俺が子供の頃の夏はもっと涼しかった。平均気温はおおよそ二十八度。真夏日が続くことはなく、猛暑日という言葉自体なかった。
そんな軽やかな夏には仇討ちがうってつけだった。
個人的な報復ではない。かつては仇討ちというものが制度として存在していたのだ。
武士については特に説明不要だろう。版籍奉還により士族となったが、社会的名誉の保持と文化継承を旗印に、現代までしぶとく存在し続けた侍たちのことである。
特例法により士族から武士へと返り咲いたものの、社会的特権は失っている。法律上では一般市民となんら変わりない。式典の時などには儀礼的に帯刀することが許されている程度で、むやみに抜刀すれば銃刀法違反で普通に捕まる。
そんな彼らの行動原理は武士道でできている。不正などもってのほか。不始末があれば責任を取って切腹。そうしないと気が済まない。とある大臣が「秘書に武士をひとり雇い入れておけば、いざという時に切腹して責任を取ってくれるから助かる」という失言をして更迭されたことは記憶に新しいだろう。
さて。仇討制度である。
ごくごく普通の一般家庭で育った俺は、十歳になった年に両親を交通事故で失った。俺を祖父母に預けて結婚記念日を満喫していた両親は、アクセルとブレーキを踏み間違えて歩道に突進してきた車に撥ねられた。過失運転致死傷罪で起訴されたのは壮年の武士だった。その後裁判を経て執行猶予付きの有罪判決が下されたが、武士としてはそれだけで終わらない。亡き人の無念を晴らすには仇討ちしかないのだ。それが武士の思考回路である。遺族である俺が成人するのを待って仇討ちが決行されるものとなった。
俺は後援会の皆さんに励まされながら居合の稽古に励んだ。後援会の皆さんも武士である。指導は厳しかったが、両親を失った悲しみを紛らわすにはちょうどよかった。毅然とした武士たちに目をかけてもらえるのが誇らしくて「俺、仇討するんだぜ」とクラスメイトに自慢したことすらあった。親切な友人たちは「すげ〜」なんて言ってくれていた。
でもそんなことをしていられたのも幼さゆえ。実際に「人を斬る」という重みをわかっていなかったから。無償で俺の世話をしてくれている後援会の皆さんの手前、態度には出せなかったが、高校生になる頃には「えっ、マジで人を斬るんですか」と怖気づいていた。
仇討ちであっても殺人罪が適用されるので俺はムショ行きである。それでも仇討ち届を提出すれば休学中の学費が免除になるし、出所した後は仇討ちを成し遂げた者としてもてはやされる。履歴書の欄に「賞罰」とあるが、そこに「仇討」と書くだけで大抵の企業から歓迎される。
普通の殺人とは違う。メリットもちゃんとある。何より両親の無念を晴らせる。そういう定めなのだ。だから仕方ない。俺は自分にそう言い聞かせながら巻藁をばっさばっさと斬り倒していた。
両親の仇である武士が病気で亡くなったのは、俺が十八歳になった年のことだった。当時の成人年齢は二十歳。これで人を斬らずに済むのだと内心ほっとしたが、武士はやはり武士だった。
「亡き父に代わり、此度討たれるのは私とあいなった」
茶室で引き合わされた相手は、両親の仇である武士の息子だった。俺より三歳年上の若様に、ただ圧倒されていた。毅然とした声音。涼やかな目元。端正な顔立ちからは柔和な印象をうけるものの、身にまとう気迫が一般人のそれとは違う。武士という概念を擬人化したような佇まいだった。
「これも武士の習い。どうか私を仇と思ってほしい」
若様が頭を下げると、茶室の端に控えていたお付きの者が「ご立派です、若様」と涙を流した。俺の背後に控えていた後援会の皆さんも当然のように受け入れていた。
――待って欲しい。かなり待って欲しい。
子供は法律的にも道義的にも、親の罪を背負う必要はない。しかし彼らは武士なので一般人の理屈を理解できない。俺が口を挟む余地は一切なく、仇の交代が成立してしまった。
二年は瞬く間に過ぎた。
仇討ちの場は若様の自宅。仇討ちが決行されるのは三十八年ぶり。文化遺産にもなっている武家屋敷の前には警官とマスコミが押し寄せていた。後援会の皆さんが記者やカメラマンを押し返している間に、俺は四脚門を通り抜けた。
事前に打ち合わせした通り道場へ向かうと、白装束を纏った若様が待ち受けていた。俺の登場に、立会人という名のオーディエンスたちが息を呑む。
まず俺が口上を述べ、抜刀する。すると若様も形式的に抜刀する。しかし俺の拝み討ちで若様は絶命する――という流れがあらかじめ決められている。つい先日リハーサルもした。
だから何も迷う必要はない。後援会の皆さんも俺が仇討ちを成し遂げると信じて疑わない。いまさら後戻りはできない。だからやるしかない。仕方ない。仕方ない。仕方ない。
この日のために仕立ててもらったスーツを着込んだ俺は、佩刀した太刀に手をかけた。慣れない正装のせいで余計に汗ばむ。人を斬るという重圧に心臓が悲鳴をあげる。口上を述べなくてはならないのに、うるさいほどに押し迫ってくる蝉時雨に押し負けて喉が詰まる。
そんな俺を見ていた若様は、わずかに目を細めた。
瞬間、若様以外の全てのものが意識の外に退いていく。若様の澄み切った眼差しは、俺に許しを与えていた。殺されても恨まない。自らの信念のためなら命さえ捧げられる。穏やかで力強い意志に触れた俺は、気がついたら刀をベルトごとむしりとっていた。
ごとり、と檜の床に太刀が落ちる。呆気に取られた周囲を無視して、俺はずんかずんかと若様の前へと進み出た。
端正な顔にビンタを喰らわす。そして高らかに宣言した。
「仇討ち、終わり! 解散!」
流れを一切無視して踵を返す俺に、真っ先に反応したのは若様だった。さっと俺の腕を取って引き止める。
「待たれよ! これでは武士の名折れだ。どうか、一思いにばっさりと」
「うるせ〜! お前らの自己満足に巻き込まれて殺人犯になんてなりたかねえわ! チョンマゲ特権ふりかざして人の人生捻じ曲げんじゃねえよクソが!」
積年の叫びである。下品な罵詈雑言に怯んだ若様の手を振り払い、俺は颯爽と道場を後にして、「仇討ちは如何した!」「成し遂げねば!」と詰め寄ってくる後援会の皆さんとマスコミにもみくちゃにされた。
実行されなかった仇討ちは、それはそれでニュースになった。武士界隈ではかなり紛糾した様子だったが、世論は俺の味方だった。「仇討ちなんて前時代的だ」という声が高まり、敵討禁止令が公布されるに至った。
こうして俺なりの仇討ちは終わった。後援会の皆さんはひどく落胆したし、世間もすぐに俺のことなど忘れた。しかし若様だけは俺の元に日参していた。
「これでは私の立場がない」
「俺に言われましても……」
大学近くの喫茶店で。若様に詰め寄られた俺は、真剣な眼差しを参考書で遮った。
家督は既に弟に譲っている。父に代わって討たれるつもりだった若様の立場は宙ぶらりんのまま。俺が「普通に就職して普通に生きたらいいじゃん」と言っても聞く耳を持たない。
「だからこうしよう。私は君に忠誠を誓う。君の言うことならなんでも聞こう」
「俺が死ねって言ったら?」
「即座に死ぬ」
「じゃああいつ殺してきてって言ったら?」
「迅速に殺す」
若様の言葉に迷いがなさすぎて怖い。切りたくないものまで切れてしまう妖刀を握らされたような気持ちになりながら説得を試みる。
「あのねえ、俺はそもそも一般人だから忠誠を誓われても困るんだよ」
「仕方なかろう。武士とはそういうものであるゆえに」
「じゃあ武士やめろや!」
「それはできない」
「俺の言うことならなんでも聞くんとちがうんか〜い!」
「ふふ、我が主は愉快であるなあ」
「誰が主やねん! もうやめさしてもらうわ! ありがとうございました〜」
ベタな漫才のオチ風にはけて行こうとしたが、若様にがっちりと腕を取られた俺は逃げられなかった。人斬りのためだけに剣を習った俺と、生まれついての武士である若様とではそもそも鍛え方が違う。ガチで斬り合ったら俺の方が即死である。
何がなんでも忠誠を誓う若様に押し切られて、俺は家臣を得た。困惑しながらも就職活動の時にちゃっかり「家臣がいます」と若様を引き合いに出して内定をもらったり、俺にパワハラをした上司を若様がボコってしまって警察沙汰になったりと色々あったが、なんだかんだで俺と若様は共に暮らした。
若様と出会ってから、もう何十回目かわからない夏を迎える。最近では最高気温が四十度を超える日も珍しくない。陽が沈んでも熱帯夜。雨が降ったところで蒸し暑さが増すだけ。夏の趣きは瀕死だ。
「止められないもんかね、温暖化」
「主命とあらば、と言いたいところだけど、こればかりは私だけの力では如何ともしがたいな」
クーラーのよく効いた部屋で麦茶を飲みながら、若様が真面目に答える。長い付き合いだ。俺に対する若様の態度は若干くだけてきているが、折目正しさは何歳になっても変わらない。
一般人の俺には、未だ家臣というものの取り扱いがわからない。ただ、主人としての心掛けのようなものなら一応ある。
――仕方ない、という空気に流されない。
若様の武士としての信念に比べたら屁のような覚悟だけれど。「仕方ない」に飲まれていたら、今の俺たちはなかった。
だから、小さなことしかできないとしても、俺なりに抗ってみようと思う。あの軽やかで心地よかった夏が再び訪れるように。
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